最終回 2005.03.26 配信



みなさん、こんばんは。満月の日の夕方におおくりするお話、実は13回目の今回で、最終回となります。
蟲話はもともと、庚申講や庚申堂にまつわるいろんなお話をご披露したいな、と思って、一年間限定で始めた読み物でした。 満月の日の夜ごとの配信としたので、約29.5日の周期となり、一年で全13話をおおくりしてきました。
月の満ち欠けを配信のリズムにするというのは、ちょっとした思いつきではじめたことですが、なかなか楽しい体験でした。 仕事の帰りに夜道を歩きながら、日々満ちていく月を眺めつつ、次の話の構成を頭の中で膨らませたりしました。
最終回の今夜は、その月にちなんで、ウサギになぞらえたお話です。





蟲話13 「庚申ミームの白ウサギ、夢をみる」


◆ ミーム

「ミーム(meme)」という言葉を、ご存知でしょうか。 リチャード・ドーキンスという生物学者の造語で、

「文化が『変異』『遺伝(伝達)』し『選択(淘汰)』 される様子を進化になぞらえたとき、 遺伝子に相当する仮想の主体」(Wikipedia より)

のことです。

ようは人から人へと伝わっていく文化を、 ウィルスみたいな生き物のようにとらえた考え方で、 都市伝説もファッションもイデオロギーも宗教も、 みんなミームの一種です。 もちろん、ぼくらのやっている庚申講も、 なかなか息の長い、立派なミームといえます。


◆ ミームの白ウサギ

ぼくはこの、ミームという概念に触れるたびに、 因幡の白ウサギの話を思い浮かべます。 だってほら、白ウサギがワニ(サメ)の頭を ぴょんぴょん跳んで島に渡ったように、 ミームも人々の頭を次々と伝わって広がっていきますよね。

ミーム論では、人間の存在はミーム自身の成長の 道具としての乗り物にすぎない、と考えます。 つまり、ミームは自分の目的のために人間を利用する、 ずる賢い白ウサギなわけです。


◆ 庚申ミームの白ウサギ

因幡の白ウサギは物語の中で、 うまく沖の島に渡れたまではよかったものの、 利用されたことに激怒したワニ(サメ)たちに、 毛皮を剥がれてしまいます。

庚申講というミームも、 一時は全国に広まって大流行しましたが、 明治維新以降の合理化、西洋化の流れの中で ナンセンスな俗信とされ、ほぼ死に絶えてしまいました。

しかし2001年、まず我々東京庚申堂が、今世紀初の 本格庚申講実践団体として産声をあげます。 続いて日本三庚申のひとつとされている 八坂庚申堂さんも講を復興させ、続けておられるし、 また昨年には研究者戸渡さんが日本庚申研究会を発足、 庚申研究にもあらたな展開が期待できそうです。
一度は丸裸にされた庚申講も、毛皮とまではいかなくても、 なんとか産毛ぐらいは生えてきてるかな、と思っています。


◆ 庚申ミームの白ウサギ、夢をみる

皮を剥がれた白ウサギは大国主神に治療法を教わり、 元どおりふさふさの毛皮を取り戻します。 黄色い蒲の花粉の上に寝そべって、 また毛が生えてくるのを待ちながら、 白ウサギは何を思ったでしょうか。

そんなことをときどき考えながら、 ぼくは庚申講を続けているのです。




一年間お付き合いいただき、どうもありがとうございました。
なお、庚申堂の活動告知等は、今までどおり配信していきます。引き続き、よろしくお願いいたします。







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