第七回 2004.09.28 配信



またまたやってきました、満月の夜お届けするお話。 七回目の今日は、ぼくのところに送られてきた 一本のメールからはじまります。






蟲話07 「庚申堂ディテクティヴ」


◆ H氏からの依頼

ある春の日、「名古屋で造園業を営む」というH氏から、 一通の依頼のメールが送られてきました。 なんでも会社の庭から突然、「猿田彦大神」と刻まれた 石碑が出てきたが、これが何なのか、どうしたらいいのか さっぱりわからず困っている、とのこと。 どうやらネットで「庚申」などを検索していて 東京庚申堂がひっかかり、うちに相談されたようです。

◆ 石碑の内容

依頼のメールによると、その石碑には 次のような文字が入っていました。

猿田彦大神
      庚申山 大宮(あるいは宝)比大神
      明治20年6月吉 木林惟一
      神田東福田町16番地
         山口   文吉    妻  てる
                           長男  兼吉
                           次男  吉次郎
                           三男  久次


なるほどなるほど。 ここからいろんな推理が成り立ちます。

まず、この石碑は庚申塔、つまり庚申信仰による 祈願のために建てられた塔だといえます。 猿田彦というのは神道系の庚申信仰の代表的な 神様ですし、庚申山は栃木にある2000m弱の山で、 庚申講の信仰対象の一つです。

また、「大宮(あるいは宝)比大神」とあるのはおそらく 「おおみやひめのおおかみ」のことでしょう。 この神様は市場の神様とされているので、 この塔は庚申信仰を受け継ぐ山口さん一家が 商売繁盛を祈念して建てたものなのかもしれません。

でも、わかったのはここまででした。 「木林惟一」というのは誰? 「神田東福田町」っていったいどこ?


◆ 助っ人戸渡さんの知恵

こういうときは、福岡に住む庚申研究家 戸渡さんの出番です。 メールで相談すると、戸渡さんはすぐさま、 いくつかのアドバイスを返してくれました。

まず、木林惟一というのは、庚申山の道を開いた 修験者だとのことでした。

それと、神田東福田町というのはおそらく、 東京府神田区神田東福田町のことだろう、 ということも教わりました。
なんと、東京の神田のことだったとは。 これも当時の大日本帝国陸地測量部が作った 地図があれば、だいたいの位置がわかるそうです。


◆ 資料渉猟、現地調査

木林惟一なる修験者について調べていくと、 50年ほど前まで庚申山のふもとに、 猿田彦神社があったことがわかりました。 残念ながら今はなくなっていましたが、 今回の庚申塔はおそらく、ここを拠点とする信仰から 生まれたものだろうと推測できます。

さらにぼくは都立図書館に行き、明治20年当時の 神田区の地図のコピーをとってきました。 このコピーに、同縮尺の現在の千代田区周辺の地図を 重ね合わせてみれば、現在の番地がわかるはずです。

これはやってみるとそれほど簡単ではない作業でした。 当たり前ながら100年以上前の地理は、 現在とはずいぶん異なっていて、小さな川は ほとんどが地下に入り、道もかなり整理されています。 いろいろ試行錯誤して、大きな川と橋、神社などを 目印に、なんとか地図を重ね合わせることができました。

よし。明治20年の神田東福田町16番地は、 現在の千代田区岩本町1丁目13番地あたりだ! ここまできたら、行ってみるしかありません。 ぼくはいそいそと現場におもむきました。すると!!

…予想どおりというか、そこには高層マンション とオフィスビルが立ち並んでいました。 まあ、千代田区だもんなぁ。あたりまえか。

少しがっかりしつつも、近くにある神社に行ってみると、 そこの「改築世話役」として山口某という名が 古い石塔に刻まれていました。
明治20年の山口家も、庚申塔を建てるぐらいだから わりと有力者だったはずで、だとすればこの山口某も 関連のある人物なのかもしれません。


◆ 庚申塔、故郷へ

などといろいろ調べ、H氏の先祖をたどると 東京に住んでいたことなどもわかったりしたのですが、 結局元の持ち主に行き着くことはできませんでした。

さて、問題はその庚申塔をどうするか、です。 当初はH氏より、東京庚申堂に寄贈したいとの 要望もありましたが、庚申塔とはようするに 大きな岩であり、なかなか空間的に難しいし、 そもそも庚申山系の庚申講とうちとは 直接のつながりはありません。

そんななか折りよく、庚申山にある猿田彦神社跡地を 管理している、中村さんという宮司がみつかったので、 その方に頼んで保管してもらうことでまとまりました。

ということで、明治時代の東京で造られ、 現代の名古屋で発見された庚申塔は、 めぐりめぐって、ぶじに庚申山信仰発祥の地に おさまることになりました。

これにて、一件落着。




蟲話に何回か出てきている庚申山ですが、残念ながら ぼくはまだ一度も、訪れたことがありません。 でも来年にはきっと登頂に挑戦し、 神社に置かれた庚申塔も観てこようと思います。

今日は旧暦の8月15日で中秋節、つまり 「中秋の名月」がみられる日なのですが、 今夜もまた、あまり天気がよくない様子。 まあ一杯やりながら、雲の隙間に目を凝らして待っていれば、 月もきっと、期待に応えて出てきてくれると思います。 そうそう、お団子も忘れずに。

次の満月は、十月二八日です。







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